[草津のあんちゃん日記]

九代将軍足利義尚( 一四六五〜 一四ハ九)

鈎の陣屋の戦い (三年間 ) ( 一四ハ七 〜 一四ハ九).

文明五年 ( 一四七三 ) 足利義正ハ代将軍より 子 、義尚が九代将軍に就任 ( 九歳 )した。こうした前将軍と

現将軍の並立は、j徐々に幕府内部の対立へと発展し、文明十七年 ( 一四ハ五年 ) 家来同士の争いが激しくなっていた。

(応仁 .文明の乱 ) 応仁元年 (一四六七 ) 文明九年 (一四七七 ) 長享元年 (一四ハ七 )近江の所領をめぐって

対立がおきた。北部の京極家は義尚に、南部の六角高頼は、 義尚に対立した。ここに義尚は六角高頼征伐を決断する。

義尚は九月に近江坂本へ出陣した。対岸山田 (草津市) より続々と湖上を超え十月に鈎 (栗東市)に陣を移した。

六角高頼は甲賀に逃がれ行方がわからず、遠征が長期化すると、義尚も急速に意欲を失い、和歌・能・猿楽 さらに

酒宴に興じ始めた。さらに個人的贔屓に偏った人事を遂行し、人望を失った。

武大将、細川政元は嫌気がさし、長享ニ年六月、大津から京都へ撤兵してしまう。

翌三年 (一四ハ九 ) 三月 義尚は ニ十五歳の若さで 陣没する。

十代将軍足利義材がその後六角高頼征伐を遂行するも討伐できず、その後の将軍も、流浪する将軍となった。