[草津のあんちゃん日記]
市川 吉澄 家 (山崎 宗鑑 )
草津市志那浜から 一町ばかり東に市川 吉澄家があるが、この屋敷内に昭和四十七年「俳祖宗鑑翁屋敷跡」という石碑が宗鑑顕彰会によって建てられた。
屋敷の中央に大きな仏壇があり、仏壇底の抽き出しに市川家の系図が保管されていた。
その中に古文書類があり、その中には、宗鑑の本名弥三郎範重の名は見つからないが、市川家が近江源氏 佐々木氏の末裔だという事がしっかり示されていた。
宗鑑の志那氏は佐々木秀義 (一一一ニ〜 一一ハ四 )の五男、五郎左衛門義清を祖とし、志那浜に志那渡津の政所ありし家とある。
佐々木秀義は治承四年 (一一ハ○ ) 源 頼朝挙兵には長男定綱 ・三男盛綱 ・四男高綱もその傘下に入った。市川家の祖五男義清は実朝につかえた。
秀義は七十三歳をもって戦死、源 頼朝は秀義の死を悼み、嫡男定綱に命じて長命寺(三仏堂) を建立させて菩提を弔わせている。
市川家系図の中にも、十三代朝春の妹 月桂院が長命寺の尼として入っている。
加えて市川家四代吉廣の妹 が 将軍に仕え、市川局といわれた。
市川家の家系図の肩書を見ると
初代 〜 五代 ( 市川氏 ) 六代のみ (志那氏 ) 七代 (市川志名氏)
ハ代・九代 ( 市川志名城主) 十代 〜 十五代 (市川品城主)
十六代 ( 政所 ) 十七代以後 (庄屋役 )となっている。
「 品 」は志那 ・志那中 ・吉田 の各村を一つずの 「 口 」で表し、その合併した共同体を 「品 」という字で示したものとみられる。

屋敷の中央に大きな仏壇があり、仏壇底の抽き出しに市川家の系図が保管されていた。
その中に古文書類があり、その中には、宗鑑の本名弥三郎範重の名は見つからないが、市川家が近江源氏 佐々木氏の末裔だという事がしっかり示されていた。
宗鑑の志那氏は佐々木秀義 (一一一ニ〜 一一ハ四 )の五男、五郎左衛門義清を祖とし、志那浜に志那渡津の政所ありし家とある。
佐々木秀義は治承四年 (一一ハ○ ) 源 頼朝挙兵には長男定綱 ・三男盛綱 ・四男高綱もその傘下に入った。市川家の祖五男義清は実朝につかえた。
秀義は七十三歳をもって戦死、源 頼朝は秀義の死を悼み、嫡男定綱に命じて長命寺(三仏堂) を建立させて菩提を弔わせている。
市川家系図の中にも、十三代朝春の妹 月桂院が長命寺の尼として入っている。
加えて市川家四代吉廣の妹 が 将軍に仕え、市川局といわれた。
市川家の家系図の肩書を見ると
初代 〜 五代 ( 市川氏 ) 六代のみ (志那氏 ) 七代 (市川志名氏)
ハ代・九代 ( 市川志名城主) 十代 〜 十五代 (市川品城主)
十六代 ( 政所 ) 十七代以後 (庄屋役 )となっている。
「 品 」は志那 ・志那中 ・吉田 の各村を一つずの 「 口 」で表し、その合併した共同体を 「品 」という字で示したものとみられる。
