[草津のあんちゃん日記]
親友木村善光と私
中神良太先生の著書「山崎宗鑑翁遺墨集」を基に、私の同級生で親友のの木村善光先生が「近江の連歌俳諧」という著書を出版されております。今回はその中の山崎宗鑑翁の出自を紹介させていただこうと思います。私は満州からの引揚者で家事が忙しく、中学生時代に、ほとんど行く時間がありませんでした。それを見かねた木村善光君は私が学校に行かない日 は 必ず一日の授業をノートに執リ届けてくれました。明日試験があるという日は、問題と解答を併記し、ノート追加記入して三年間絶え間なく協力してくれました。
木村善光君の大学時代には、山岳登山によく出掛けました。
又、二人で北海道一周毛布を持つて無銭旅行に23日間行き多くの思い出を作りました。
木村君が膳所高校の教師となってからは社会人としては、私の方が木村君の先生的な立場で相談を受ける機会が増え、尚一層深い友人となりました。
そんな中でサッカーの指導者、教育者として頑張り過ぎたせいか、体調を崩すし透析を受けなければならない 身体 になってしまいました。それからは 旧野洲川跡地にサッカー場
作りに没し完成開幕大会の会長としてやり遂げました。
その後は、本来の古文学の世界に没し、研究成果を数冊の自主出版の本に仕上げ各図書館
に無料配布しました。
守山市の要請を受け守山市史誌を七巻完成し、編纂室長の役割を果たして亡くなリました。
木村善光先生略歴
昭和11年5月4日生......平成20年11月1日亡 (73歳)
草津小学校 草津中学校 膳所校 卒
昭和34年3月 滋賀大学学芸学部卒業。
昭和45年3月 京都大学教育学部にて日本教育史研修終了。
甲南中、守山高校、甲賀高校、大津高校、膳所高校、守山北高校、
各学校のサッカー部の部長、監督 歴任
守山市サッカー協会 会長
ビックレイクサッカー場実現に取りくみ平成17年9月に天然芝一面 人工芝ニ面 完成。
昭和58年から5年間 滋賀県高等学校国語教育研究会副会長。
滋賀俳諧文学研究会事務局長。
守山市史誌編纂室にて守山市史誌六巻 、守山市生活.民俗編一巻k
透析治療のハンデイを抱え文字通リ一人で編纂と何十枚の挿し絵も描いていました。
木村善光君の大学時代には、山岳登山によく出掛けました。
又、二人で北海道一周毛布を持つて無銭旅行に23日間行き多くの思い出を作りました。
木村君が膳所高校の教師となってからは社会人としては、私の方が木村君の先生的な立場で相談を受ける機会が増え、尚一層深い友人となりました。
そんな中でサッカーの指導者、教育者として頑張り過ぎたせいか、体調を崩すし透析を受けなければならない 身体 になってしまいました。それからは 旧野洲川跡地にサッカー場
作りに没し完成開幕大会の会長としてやり遂げました。
その後は、本来の古文学の世界に没し、研究成果を数冊の自主出版の本に仕上げ各図書館
に無料配布しました。
守山市の要請を受け守山市史誌を七巻完成し、編纂室長の役割を果たして亡くなリました。
木村善光先生略歴
昭和11年5月4日生......平成20年11月1日亡 (73歳)
草津小学校 草津中学校 膳所校 卒
昭和34年3月 滋賀大学学芸学部卒業。
昭和45年3月 京都大学教育学部にて日本教育史研修終了。
甲南中、守山高校、甲賀高校、大津高校、膳所高校、守山北高校、
各学校のサッカー部の部長、監督 歴任
守山市サッカー協会 会長
ビックレイクサッカー場実現に取りくみ平成17年9月に天然芝一面 人工芝ニ面 完成。
昭和58年から5年間 滋賀県高等学校国語教育研究会副会長。
滋賀俳諧文学研究会事務局長。
守山市史誌編纂室にて守山市史誌六巻 、守山市生活.民俗編一巻k
透析治療のハンデイを抱え文字通リ一人で編纂と何十枚の挿し絵も描いていました。